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心に浮かぶ「もやもや」を言語化したい

近現代日本で繰り返される主題「いのち短し恋せよ少女(イノチミジカシコイセヨオトメ)」

[字数:約7000字]
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この記事で紹介する「ゴンドラの唄」が使用されるもっとも有名な作品・黒澤明監督作品『生きる』

皆さん、「いのち短し恋せよ少女(おとめ)」というフレーズを聞いたことがありますか。

これは大正時代に流行した歌謡曲「ゴンドラの唄」の1節です。

このフレーズにまつわる話を書いていきます。


◯目次
プロローグ:中公新書『定年後』を読んでいました
1. 「いのち短し恋せよ少女」と聞くとあなたは何を思い付きますか?
2. 「いのち短し恋せよ少女」の原点「ゴンドラの唄」
3. 「ゴンドラの唄」に影響された作品
3-1. 黒澤明監督作品『生きる』
3-2. 森見登美彦著小説『夜は短し歩けよ乙女
3-3. クリープハイプの楽曲「イノチミジカシコイセヨオトメ」
4. 「いのち短し恋せよ少女」のスローガンが持つメッセージ性を考える
◯参考URL等


プロローグ:中公新書『定年後』を読んでいました



中公新書から出ている『定年後』という新書を読んでいました(筆者は22歳ですが笑)。

映画「生きる」
(…)
そして雪の降る夜に、その公園のブランコで「ゴンドラの唄」を歌いながら(引用者注:主人公が)息を引き取る。
黒澤明監督の映画「生きる」の一場面である。面白いことに、転身者の取材の中で何回かこの映画の話題が出たことがある。この映画が好きで何回も見たという人もいた。公園にあるブランコを見つけると、それに揺られながら「ゴンドラの唄」(いのち短し、恋せよ、少女……)を口ずさむこともあったそうだ。
楠木新(2017)『定年後』中公新書 p.197より


この箇所を読んだぼく:「え、『いのち短し、恋せよ、少女』……って、クリープハイプぢゃん……。」

クリープハイプをご存知でない方も、とりあえず先に進みましょう。あとでご紹介します。
まずはこの質問からどうぞ。

1. 「いのち短し恋せよ少女」と聞くとあなたは何を思い付きますか?



森昌子 ゴンドラの唄 1986  Masako Mori
森昌子さんヴァージョンを最初にどうぞ!

おそらくほぼ全ての人が「なんとなく聞いたことがあるような気がする」という反応をされるでしょう。ありがちな発想ですし。僕には、自由恋愛を推し進めるようなスローガンに聞こえますね。



どこで「いのち短し恋せよ少女」を聞いたか

もしこの言葉をちゃんと聞いたことがあるように思う人は、おそらく以下のどれかに当てはまると思います(いっぱい書いちゃいました…)。

アンデルセン作、森鷗外訳の『即興詩人』のヴェネツィアの場面で、主人公がゴンドラに乗る際に聞こえてくる舟唄と同じ内容
②大正時代の歌手松井須磨子により好評を博し、現在でも歌謡曲として歌われる「ゴンドラの唄」の1節
ツルゲーネフの劇『その前夜』が日本で舞台化された際の劇中歌「ゴンドラの唄」の1節
黒澤明監督作品「生きる」で主人公が最期にブランコで歌う「ゴンドラの唄」の1節
⑤ 映画化もされた森見登美彦著の小説「夜は短し歩けよ乙女」のタイトルと同じ語感

NHK連続テレビ小説「マッサン」に出てきたケイト・フォックスが歌った「ゴンドラの唄」の1節
⑦ ロックバンド、クリープハイプの楽曲「イノチミジカシコイセヨオトメ」と同じ語感

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「マッサン」観てないからよくわかんないんだけどね…

つまりは、「ゴンドラの唄」それ自体(②、③、④、⑥)か、その元となった題材(①)、またはそのパロディー(⑤、⑦)の3種類となります。

僕の場合は、冒頭にも述べました通り、クリープハイプという若者バンドの楽曲と、森見登美彦さんの小説を知っていたくらいだったわけです。黒澤明監督の映画「生きる」なんて観たことも聞いたこともありませんでした。一般的な若者であれば、「マッサン」、森見登美彦さん、クリープハイプと関連して、「いのち短し恋せよ少女」を知っていれば詳しい方でしょう。

先ほどの新書『定年後』がターゲットにしている団塊の世代の方々には、きっと歌謡曲としての「ゴンドラの唄」や映画「生きる」の1場面が思い出されるでしょう。

2. 「いのち短し恋せよ少女」の原点「ゴンドラの唄」


丁寧に経緯を説明していきます。


ゴンドラの唄 ~松井須磨子・他~ ノイズが酷いですが、松井さんによる歌唱(1:28から)

このフレーズ「いのち短し恋せよ少女(おとめ)」が完全な形で最初に現れたのは、大正4年(1915年)に吉井勇さん作詞で発表され、ヒット曲となった歌謡曲「ゴンドラの唄」でした。

当時、先行して大ヒットとなっていた「カチューシャの唄」を中山晋平によって作曲され、歌詞は吉井勇、歌は松井須磨子によるものでした。芸術座第5公演『その前夜』の劇中歌として「ゴンドラの唄」は披露され、その後永く愛されることとなります。松井須磨子は「カチューシャの唄」も歌った、日本初の歌う女優だったそうです。

作詞を担当した吉井勇は、この歌詞の題材に 森鷗外が翻訳したアンデルセンの小説『即興詩人』に出てくるボヘミア民謡を使用したとしています。レファレンス協同データベース(2015)からの引用です。

『歌おう大正時代』高橋整二編・刊 2002 <767.8/312B 常置>(22311120)
「ゴンドラの唄」解説に、「森鴎外の「即興詩人」に出てくるベネチアの民謡の一節に、「朱の唇に触れよ、誰れが汝の明日猶在るを知らん。恋せよ汝の猶少く(わかく)、汝の血猶熱き間に云々」を基にして吉井勇が作詞したと伝えられており」(p57)と記載あり。

実際に、吉井勇による他のエッセイや書簡においても、このことが触れられています。こうしてアンデルセンの小説に出てくる主題が、森鷗外の翻訳と、ツルゲーネフの脚本(『その前夜』)による舞台上演という機会を得て、日本にもたらされたのです。



楽曲の特徴(「歌い継がれる」理由)や、アーティストのカバーについては、こちらのブログをどうぞ。
100年前に生まれた「ゴンドラの唄」が今も愛される理由 http://www.tapthepop.net/sommelier/28997#bmb=1

3. 「ゴンドラの唄」に影響された作品

驚くべきは、そのリバイバル作品やパロディーの多さです。冒頭に述べた皆さんが「いのち短し恋せよ少女」を目にしたであろう作品というのは、ほとんどこの「ゴンドラの唄」に影響を受けたものです。

3-1. 黒澤明監督作品『生きる』


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映画「生きる」



ゴンドラの唄 / 船歌 / The Gondola Song (Ikiru 黒澤明)
後半にはバッチリ「ブランコ」のシーンが入ってます!日英中字幕付き!

黒澤明監督が映画「生きる」の中で、主人公が息を引き取る直前にブランコに乗りながらこの唄を口ずさむそのシーンは、映画を観た人に衝撃的な印象を与えるはずです。

市役所の市民課長であった主人公は、胃ガンで自分の人生が長くないことを知ります。そこで30年無欠勤だった職場を休み、夜の盛り場に足を踏み入れます。けれども、元部下の女性から励ましを受けて職場復帰し、長らくの住民の要望であった公園を完成させるのです。その公園の中、市民課長は「ブランコの唄」を口ずさみながら、息を引き取るというストーリーです(楠木 2017)。

「いのち短し」のメッセージを存分に伝える劇中歌の使い方ですね。あと、女性(少女)の気持ちを歌った唄なのに、男性が歌唱しているというのも興味深いですよね。観てみたい。


このブロガーさんによれば「泣ける」映画らしい。
https://ameblo.jp/oonaoki-ando/entry-12271271924.html


3-2. 森見登美彦著小説『夜は短し歩けよ乙女

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

夜は短し歩けよ乙女 (角川文庫)

2006年に発表された森見登美彦による小説『夜は短し歩けよ乙女』は、Wikipediaによれば2017年2月時点で130万部のヒットとなりました。比較的若い世代の方であれば、森見登美彦の小説が好きな方もいるでしょう。2017年にはアニメーションにより映画化もされ、主人公「先輩」役が星野源、「パンツ番長」役がロバート秋山と楽しい声優陣となりました。第41回オタワ国際アニメーションフェスティバル長編部門グランプリや、第41回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞を受賞とはすごいですね。

あらすじは、大学生である「先輩」が同じ大学の後輩である「黒髪の乙女」に恋をして、京都の街を舞台に彼女を追いかけるというものです。その彼女の性格がとても自由奔放で、さまざまな出来事に自ら能天気に進んで入り込んで行くのに対し、彼女の気を引こうと主人公が後ろから付いて行って一緒に巻き込まれる、というストーリーです。舞台となる大学は明かされていませんが、京都大学だとされています。というのも森見さん京大農学部卒みたいです。京都らしさ溢れる、ファンタジーなラブストーリーで、面白いです。

ネット上で皆さん触れていらっしゃいますから、僕が細かく書く必要もないですね。小説は読んだけど、映画はまだなので観たい!

夜は短し歩けよ乙女
著者:森見 登美彦
黒髪の乙女にひそかに想いを寄せる先輩は、京都のいたるところで彼女の姿を追い求めた。二人を待ち受ける珍事件の数々、そして運命の大転回。山本周五郎賞受賞、本屋大賞2位の大傑作。
(角川文庫公式ホームページよりhttps://promo.kadokawa.co.jp/feature/yoruhamijikashi/
森見さんと小説家大森さんとの対談が面白い)


夜は短し歩けよ乙女』は、「いのち短」き「少女」が恋する物語ではないのですが、そのタイトルは「ゴンドラの唄」の歌詞が由来です。

タイトルから「恋せよ」は脱落してしまいましたが、「乙女」ではなくとも男の側が恋する話なので、「恋せよ」のメッセージは作品内容に残っています。また、「夜は短し」という設定で、主人公たちが様々なことに巻き込まれていくのは、「はかない人生を謳歌しよう」という「いのち短し」というメッセージ性も感じられないこともないです(むりやり)。

3-3. クリープハイプの楽曲「イノチミジカシコイセヨオトメ」

社会的知名度は低いと思いますが、僕が好きな曲なので紹介します。クリープハイプは日本の四人組ロックバンドで、ボーカルの尾崎世界観が書く詞が独特なのが特徴だと個人的に思います。この曲については、作詞者が直接「ゴンドラの唄」について言及している情報は得られなかったのですが、タイトルがそのまま「いのち短し恋せよ少女」をカタカナにしたものですので、その影響を受けたと考えました。(もし作詞者が元の題材を知らなくとも、その「精神」は受け継がれていると言っていいでしょう。)

曲は、アップビートな音楽に合わせて、現代の娼婦が「自らの悲惨な暮らしから脱却したい」と願う気持ちを想像した歌詞となっています。かなり悲痛な歌詞で、これに合致する人生を送っている人が日本にはいないと信じたいです。とにもかくにも、若者にまで「いのち短し恋せよ少女」のメッセージが伝わっています。
尾崎世界観イイネ!


クリープハイプ イノチミジカシコイセヨオトメ live


歌詞の引用です。

ピンサロ嬢になりました
生まれ変わったら何になろうかな
コピーにお茶汲みOLさん
明日には変われるやろか
明日には笑えるやろか
花びら三枚数えたら いつかは言えるか スキキライスキ




ちなみに、他にもパロディー作品として、「花はみじかし、恋せよオトメ。」というWeb配信漫画もあるらしいです(https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10177853075)。

4. 「いのち短し恋せよ少女」のスローガンが持つメッセージ性を考える

その短いフレーズの中には、「メメントモリ(死を忘れるな)」と近代以降特有の「自由恋愛」の2つのテーマがこめられています。それぞれ「いのち短し」が「メメントモリ」、「恋せよ少女」が近代的な自由恋愛を象徴しています。

日本では「ゴンドラの唄」が発表された数10年前までは、士農工商と江戸時代以前の身分制が定着し、自由恋愛は難しかったでしょう。家柄によって結婚相手が決まったり、自分の村から出ることができず、理想の相手と結婚できないということが日常茶飯事であったはずです(ちゃんと調べてないので要出典ですね…笑)明治維新の四民平等や西洋からの近代的な思想・文化が流入する中で、自由恋愛の文化が花開いたのです。開国直後から続いた近代化・産業化がもたらした、市民生活への劇的な変化を象徴して「ゴンドラの唄」生まれたのです。

人々にとって自然に受け入れられいるテーマだからこそ、これほどまでに同じテーマが繰り返されてきたのでしょう。もしこの発想が人々に存在しなかったとすれば、芸術家や小説家といったアーティストの方にとっても、作品がインスパイアされるほど大事なテーマにはなりえないでしょう。もはやパロディーというような原型をとどめずに、このテーマは様々な楽曲や作品に出てくるテーマなはずです。近代個人主義の萌芽によって生まれた思想が現代にも息づいていることを感じました。

意識したいことは、この「ゴンドラの唄」に限ってみれば、その歌詞の源泉となったものはアンデルセンの『即興詩人』であり、西洋由来のものであるという点です。はじめてこの曲が歌われた舞台も、ツルゲーネフの台本で行われたものでした。はたして「いのち短し恋せよ少女」の発想が日本固有の恋愛観や個人主義を受け継いだものであるか、というのは更なる検討が求められるでしょう。江戸期以前にも男女の恋愛に関する大衆文化は存在したと思いますが(随筆、詩、浄瑠璃狂言、能等?)、ここから先は自分の専門ではないので、どなたかの研究を待ちましょう。
よく江戸期の物語で「心中物」って多かった気がします

結論

明治維新後の社会変動によって、人々は自由恋愛や文化・思想に慣れ親しむことができるようになった。その当時の世相を反映した流行歌の影響が、現在においても見られるという点から、当時の文化・思想は引き続き継承されている。ただし、その流行歌自体は、19世紀西洋のロマン派文学や革新的演劇の影響下にあり、日本固有のものではない。

(追加) 問題提起『「いのち短し」からといって「恋」すべきか』

あと「いのち短し恋せよ少女」の考え方とは対照的に、「命に限りがあるからといって、恋愛がそこまで大事なものなのか」という価値観も最近の世の中には広まっていると思います。例えば、LGBTのようなものに加え、一生独身を貫き通す人であったり、ポリアモニー(複数愛)のような形の恋愛観も広まっていくでしょうね。

それも多様性があって面白いですよね〜。

◯参考URL等(最終閲覧2018年4月14日)
アンデルセン(森鷗外訳)『即興詩人』.
・楠木新(2017)『定年後 - 50歳からの生き方、終わり方』中公新書.
・甦る『ゴンドラの唄』ー「いのち短し、恋せよ、少女」の誕生と変容ー(2016)http://www-h.yamagata-u.ac.jp/~aizawa/mat/gondola_book.html
・レファレンス協同データベース「「ゴンドラの唄」はアンデルセンの「ベネチアのゴンドラ」という作品をもとにしているときいたが本当か」(2015)http://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000167707
・TAPthePOP「100年前に生まれた「ゴンドラの唄」が今も愛される理由」(2015)http://www.tapthepop.net/sommelier/28997#bmb=1
Wikipedia夜は短し歩けよ乙女」、夜は短し歩けよ乙女 - Wikipedia
Wikipedia「ゴンドラの唄」ゴンドラの唄 - Wikipedia

掃除機を連れて公園に出かけよう????(英国留学④)

英国留学中のひさしです。今回は、Facebook上で流れてきた「へんなイベント」について紹介します。



いつだったか、たしか2月とかだったと思いますが、今年に入ってから面白いイベントがFacebook上に流れてきました。

"Take your Henry Hoover for a picnic"

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(https://www.facebook.com/events/1979714835628248??ti=ia 最終閲覧: 2018/3/19)

最初に見た僕「は………?意味不明……」

イギリス英語で、掃除機のことを「Hoover」と言うのですが、つまり、このイベントのタイトルの意味は、「掃除機のヘンリーを連れてピクニックに行こう」というわけです。

Facebook上で、4万5千人もの人が「興味あり」と、1万人もの人が「参加する」と答えるなど、注目を集めています。(僕も「興味あり」と入力しましたが、カーディフ遠いし行けません笑)

このイベントは、カーディフの大学生が友人同士内でイベントを企画したものが、瞬く間にイギリス全土に広まってしまった、というわけです。

当初は、3月中旬にカーディフ市内の公園でイベントを開催するはずだったのですが、なんと注目を集めすぎてしまった結果、カーディフの市役所が開催を止めに入る始末に。けれども、イベント自体は再調整して、さらには販売元と提携して、夏に開催することを目指しているようです笑

運営者がそのようにアナウンスしていました(最後にメンタルヘルス関連の募金を募ってるあたりが好青年ですね)。

ところで、「"Hoover"、"Henry"ってなに?」と思われたのではないでしょうか。特にイギリスに住んだことがない方は、少々前提知識が必要です。

僕が住んでいるニューカッスル大学の寮内にも、次のような掃除機(hoover)があります。

顔が描いてあってかわいいですね。よく見てください。

「アレ??よく見ると名前がある!?コイツがHenryか!!」

…はい、彼がHooverのHenryさんです。Flat23の掃除を担当されています。

彼はFlat23の掃除を担当しているのですが、彼はNumatic International社が販売する「Henry and Friends」というラインナップの1人です。イギリスではおなじみの掃除機のようです。 (Numeric International社の「Henry and Friends」https://www.numatic.co.uk/products.aspx?r=4&sr=1 最終閲覧:2018/3/19)

結構、お仲間がたくさんいらっしゃいますね。


デスクトップクリーナー版のHenryもいましたよ!


(https://www.ebay.co.uk/itm/Desktop-Vacuum-Hoover-Henry-Computer-Desk-Office-Cleaner-Novelty-Secret-Santa-/122829016575 最終閲覧:2018/3/19)

それはさておき。このイベントの何が面白いかって、イベントの説明が面白い。

Facebookのイベント詳細には、こう書かれています。

"Almost all workers are legally entitled to 5.6 weeks' paid holiday per year (known as statutory leave entitlement or annual leave). An employer can include bank holidays as part of statutory annual leave." https://www.gov.uk/holiday-entitlement-rights
When was the last time your Henry got even a single days break or chance to spend time outside.

...(以下省略)

(日本語訳)
"ほぼ全ての労働者は法的に1年あたり5.6週間の有給休暇を取得する権利があります(法的休暇取得権または年次休暇として知られています)。使用者は国民の祝日を法定年次休暇の一部として加えることができます。" https://www.gov.uk/holiday-entitlement-rights

たった1日でも外で時間を過ごす休みや機会がヘンリーにあったのは、いつが最後だろうか。

...(以下省略)

実際に言ってること、めっちゃ面白くないですか笑

たかだか掃除機(hoover)を擬人化して、「ピクニックにでかけよう!」っていう発想が笑

それでいてイギリス人らしく労働者の権利主張と結びつけてる、っていうのがツボですね。

さりげなく紹介文に英国政府のサイトから引用しちゃってるし笑

ジョークでありながら、イギリス人の権利意識や社会運動に前向きな姿勢を刺激した結果、ここまでHenryが注目を集めたのかもしれませんね。(ここが日本とは少し違う)

なんとなくイギリスらしさを感じるとともに、Facebookの「驚異」だか「脅威」を感じた経験なのでした。。笑




おまけ

イベントのFacebookページ上では、Henryに関連したたくさんの投稿がされています。その中から、面白いと思ったものを一部ご紹介します(全て前記のFacebookページからの引用)。

その1

(訳)
ピクニックが中止になった後で、私はヘンリーを元気付けてあげようと、ゴルフに1ラウンド連れて行きました。彼はその後にクラブハウスでラストオーダーまでヤケ酒をしていたから、自分が18番ホールだと勘違いしていたよ。

その2

(訳)
"作業者はウェストミンスター大聖堂の外側を、ロープでぶら下げたヘンリー掃除機を使って掃除をしている。"2018年3月15日の写真-デイリー・テレグラフ

その3

(訳)
ヘンリーはピクニックが延期になってしまったことにすごいガッカリしてたから、センター・パークに連れてってあげたの。彼は1999年のようにパーティーすることに決めたわ!(人前で彼のいっぱいの袋を空にして恥かいてたけど…)

その4

(訳)
昨晩、森で恥かいて後、ヘンリーは悔いる時間と、休息と回復が必要だったの(それに痛み止めも)。彼は、たいそうなルコゼードを飲んだ後に、シャワーを浴びて、新しいHooverになった気分で、私たちのためにちょっとベビーシッターをしてくれる準備ができたわ。私たちがスパに行っているあいだに…。子供たちは感心しなかったけど…私たちは楽しかったわ!

メリトクラシーに関する疑問のメモ

メリトクラシー(成績重視主義、能力主義などが訳語)に関する基本的な自分の考えを書きました。 思いついたことを雑に書き散らしました笑



いまの社会では「大学入試等の機会に、能力によって個人を選別した上で分業を行わせる」という形をとっている。これは個人の意志、興味関心を吟味しないという点で、望ましくない。

例えば、経済学部に入るためにはある程度の数学的知識はもちろん必要だ。さもなくば、入学後に授業についていけず退学・留年することは目に見えている。

だからと言って、数学を受験科目として受けさせるということは、「その人が経済学というものに興味があるのか」を全く判断材料としていない。強いて言えば「経済学に興味があって、それを大学でやるために数学を懸命に勉強した」という論理が成り立つなら、経済学に対する興味を選抜における判断材料として用いている。しかし、これは果たして全国の経済学部受験者の現状にも成り立つであろうか。他の学部についても同じことが言える。

複数の専門性の異なる学部を受験するということはよくある話だろう。このとき、大学・学部選択に用いるのが「偏差値」だ。社会が受験生に偏差値による大学選択を迫っている。事実、より偏差値の高い大学の方が、就職活動の面で有利だということはままあるし、学歴フィルターは未だに就職活動で作動しているともされる。学術・研究面でも偏差値のの高い大学の方が、優れていることもある。

高等教育の選抜過程における、「個人の興味と専攻内容の不一致」は、大学の定員数が固定化されている以上、やむを得ない。例えば、国立大学の経済学部を受験したが不合格となり、私立の経営学部に入学したというような例だ。本当は経済をやりたかったかもしれないが、経済をやることになってしまう。けれども、これでは明らかに能力による専門内容の決定、すなわち偏差値による受験生の選別が行われているといえよう。

このように偏差値によって引き起こされる、個人の興味と専攻内容の不一致の影響は大きい。

その弊害として、適材適所な社会的分業の達成に不要な「宙ぶらりん」の時期が学生に訪れる。つまり、社会的分業を目指す過程から学生が離れて、宙に浮いてしまうのである。学生が他者と差異のある価値、すなわち経済的利潤を生む価値を得るためには、一定の人的資本投資必要である(人的資本論)。たとえば、学業を優秀な成績で修めたり、インターンシップ・アルバイト・ボランティア・サークル活動をおこなうこと、などである。けれども、学生が自分の社会でのポジションを決めようと、勉学その他に励むことができず、社会へ出るモラトリアム期間として高校生以下の学生のように過ごしてしまう。これは個人の生涯の資産形成に対してマイナス働く。自分の興味と大学でやってることが一致しないようなことに不満を覚える人は多いだろう。個人レベルであれば、大学生の時期を謳歌するのは結構だし、個人の責任に帰着できるが、国家レベルでは問題となってくる。少し国家主義的だが、この社会的分業の失敗が世界経済における日本の競争不利にもつながってくるのである。

一言でいえば、「不一致」は「人的資本形成上のロス」となる。

それでは、この「不一致」を解消するためには、どうすればいいのか。

問題の根源は、大学生が中学・高校と義務教育システム下にいたときのように、経済的自立を強制する「社会」を未だ気付ていないことである。

通常、高卒の人であれば高校卒業前の就職活動時、大卒は大学卒業前の就職活動時に、初めて他の社会人と同じように「経済的自立の道」を認識する。経済的自立の必要に迫られながらも、やる気の出る興味関心にある仕事につくためには、人とは違った「強み」や「経歴」がなければならない。つまりは蓄積された人的資本によって、人は人材市場で好みの仕事を見つけることができる。人により時期の前後はあるだろうが、遅くともこの時点で、また身に染みて、これらのことを実感するだろう。しかし、その時点では人材市場で競争優位を生むための人的資本形成は間に合わない。

ところで、人はうやむやであれ無いよりは目標があった方が、心もモチベートされて、物事に励むことができよう。つまりは、早いうちから目標となる「経済的自立の道」を認識することが、早期の人的資本蓄積へとつながる。これが人材市場における競争者優位の源泉となるのである(シグナリング理論)。よって、「経済的自立の道」の認識が少しずつでも早く行えれば、早い時期からその「関心と専門の不一致」解消できるのである。



大学における「関心と専門の不一致」の解決策をいくつか提示してみる。

解決策
①大学に再入学・編入する ②入学直後の段階で、専門を変更できるシステムを大学が採用する ③高校生の段階から専門内容に対する理解を深める ④広義のリカレント教育すすめる

①日本でも再入学や仮面浪人をする人は多いし、専門学校から大学に編入するという制度は、割とありふれたことである。イギリスに留学していて、1年学部生をやってみて、合わなかったから学部を変えてやり直した人が周りに多くいた。ただ経済的に非効率であるため、これを支える仕組みのようなものがクローズアップされるべきだ。

②入学後に専門を自分で選択できる大学は多い。例えば、東京大学国際基督教大学は、入学後に制約はあるが文系理系の枠を越えて、専攻を決定できる点で特徴的だ。抜本的な専門変更はできないが、1つの学部で2、3のコースに分かれていることもよくある。 また、大学内で少人数ながらも転学部を認めている大学もある。しかし、転学部者の選考に、転出前の学部の成績で判断していては、転出後の学部におけるその人のパフォーマンスを図れるはずがない。

③これができれば文句は無いが、他にも教育カリキュラムが多いある高校において、これ以上カリキュラムを増やすのは難しいだろう。進路指導者の手腕に任されてしまうのだろうか。

④これは学位を取り直さなければならない、という観点では決して効率の良い解決策ではないが、日本以外の西洋諸国では増えているようにも感じられる。特に海外の大学院や日本でもMBAなどの専門職大学院においてよく見られる光景だが、学部を終えた人が、学部での専攻から切り替えて新たな学位を取得することを促す仕組みである。 海外で学位(日本語等)を取得した人が、日本に来て大学院、場合によっては学部に入学するということも見られる。

総括
教育を受ける期間の拡大無しに、効率よく「不一致」および「人的資本形成上のロス」を解消するためには、②と③を政策として進めていくのが適切だろう。①と④は教育の期間を延長することで 、「不一致」を解消しようとする試みだ。

いずれにせよ、早い時期で「経済的自立の道」を見出し、適材適所の社会的分業に向けて個人をモチベートすることが必要だ。そうすれば、人的資本形成のためにやらなければならないことも見えてくるし、「宙ぶらりん」の状態で大学を過ごす時間も少なくなる。こう言ってしまうと、学生を苦役に追い込むようだが、人的資本形成とその他娯楽の両立も、同じようによって求められるはずだ。

これが能力による選抜ではなく、自分の興味関心による選抜——社会学的には適材適所のより効率的な社会的分業——へのつながるだろう。



P.S. 「結局、人生の選択肢が全部事前に分かっていた方が、やる気も上がるし、人生を決める決断を個人がするのが望ましいんじゃないか」と思って書きました。

あと「社会的分業」についてはちゃんとここでは定義していません。いちおうデュルケームの『社会分業論』における近代以後の「社会的分業」のつもりで書いたのですが、読んだ内容忘れてるしクソ。ここでは「社会的分業」=「適材適所」ぐらいのつもりでお読みください。

ロンドンの木管楽器専門店「Howarth」(英国留学③)

イギリス交換留学も半年が経ちました。全然ブログ更新できてませんが、そろそろラストスパートです。。。

とりあえず書きたい記事から書いていきますね〜

今回は、僕が留学先で参加するオーケストラで吹いている楽器、オーボエを取り扱うロンドンの楽器屋さんについてご紹介します。





僕:「今度ロンドン行くんだけど、オーボエ奏者として行っといた方が良いところある?」

オケ友達:「それなら私の楽器(オーボエ)のメーカーHowarthかな〜」




‥というわけで、ロンドンにある木管楽器専門店「Howarth」に行って来ました。

ちょうどリードが尽きそうになっていたので、もし買えれば新しいのが欲しいとも思ってて、ちょうど良かったです。

楽器屋の名前が、ブロンテの小説『嵐が丘』の舞台、ヨークシャー地方にあるHowarthという町と名前が一緒なのは、イギリス風情を感じますね。

俗に言うウェスト・エンドの一角に「Howarth」はあります。最寄駅はBond Street、Baker StreetかMaryleboneです。どの駅からでも徒歩10、15分とか。市街中心部のOxford Streetにある歴史ある百貨店セルフリッジ(Selfridge)から少し北に10数分歩いたところ、またはパディントン駅東側です。ロンドンの地理にあかるい方であれば、Hyde ParkとRegent’s Parkの間、シャーロックホームズで有名なBaker Streetをひとつ入ったところですぐに分かりますかね。
 
 
↑隣の隣の区画ぐらいでもうBaker Streetです(写真の左手前から右奥に抜ける通り)

取り扱っている楽器は主にオーボエバスーンクラリネット・サックスです。(フルートは無かったかな?)

ロンドンにあるダブルリード専門店としては、1番メジャーなお店なのではないでしょうか。楽器の製作・修理やアクセサリー、楽譜等の販売もしています。創業は第2次世界大戦後すぐの1948年と、フランス・ドイツの老舗メーカーにはかないませんが、十分歴史ある楽器屋さんです。オーボエ以外にも、バスーンクラリネット・サックス等も作っています。

カタログを見る限りでは、オーボエが1番フィーチャーされています。



↑Haworthのカタログ

日本でいうと、新宿にあるダブルリード専門店、JDRのような雰囲気が漂っています。


オーボエのコーナー
右手奥からレジ、楽器ショーケース、楽譜コーナー。左手にアクセサリーコーナー、地下室への階段、教則本コーナーとなっています。
奥に入るとリペアマンさんがいたりします
階段上の机というか板の上には、日本で開催される「国際オーボエコンクール」のチラシが


↑サックスのコーナー


↑外からみると一見オーボエ・サックス・クラリネットバスーンの部屋に分かれているようですが、店内はカウンター奥の内部で繋がっています
写真は混合木管アンサンブル楽譜専門の棚


↑この言語どこかで見たことある‥


↑テディベア文化圏なイギリスだけあって、マスコットキャラクターがくまさん

物凄くオーボエマニアな話になってしまいますが、日本の楽器屋さんではHowarthの楽器を扱っているのを僕は見たことがありません。けれどもお店を見てみると、初心者向けからプロ向けまで幅の広い商品展開をしているようです。ショーケースにはフランス・ドイツのメジャーなメーカーの楽器も扱っていました(マリゴ、ロレー、クラムポン、メーニッヒ)。名前は忘れてしまいましたが、これまた日本では扱っていないアメリカのメーカーも展示されていました(ラウビンではない)。

日本にも、国際オーボエコンクールの審査員としてよくいらっしゃるゴートン・ハントさんはHowarthのOboeを使用されています。 (参考:国際オーボエコンクールの審査員http://oboec.jp/jury_j/ ) プロでも使用者がいるということで、Haworthはイギリスの中では著名なようです。所属する大学オケでオーボエを吹いている2人もHaworthを使っています。日本でYAMAHAとかヨーゼフを使う人がいるのと同じですね。

それぞれの部屋には地下室があって、それも内部で繋がっているようです。オーボエの部屋にある階段を降りた先の地下室、というか練習室(practice room)で楽器やリードの試奏をさせてくれます。当日、楽器を持って行っていなかったのですが、ショーケースのロレーを貸してくれました(恐れ多い‥笑)。


↑リードは試奏できます
アルブレヒト・マイヤーと同じ形状のリード!」っていうのがあって欲しくなりました‥笑
大学(地方都市)のオーボエの友達は「Howarthの通信販売で購入している」と言っていたので、日本のJDRアクタスのように、店頭販売で試奏して買えるのは大きな発見です

この日は結局リードを買わずに帰りました。日本から持ってきたリードの方がまだ良いかな笑、とか思いまして。 あと、貸してくれたロレーの調整が狂ってて、リードの良し悪しが判断できないというのせいもありました笑

というのも、イギリスのオーボエはサムプレート方式といって、真ん中のドの音に左で親指の位置にある「サムプレート」というキーを押すことで、音がまろやかになる方式を採用しています。なので、貸してくれたロレーのセミオートマチックのコンセルヴァトワール方式はあまり調整してないのかな、と感じました。Haworthのオーボエも試奏してみれば良かったな〜

また、思いがけず「楽器を自分で調整しよう」、「自分でリードを製作・調整しよう」という、日本ではなかなかお目にかからない本を見つけたので、衝動買いしてしまいました‥笑


↑日本語の本ではあまりお目にかからないタイプの本
Oboeは精密機械なので楽器調整はアマチュアには難しいのです


↑「The Oboe Doctor」目次

↑ホリガー、リーバーマンといったそうそうたる奏者の推薦文が


↑「Guide To Oboe Reed Making」目次一部
指揮者バルビローリのお嫁さんでグーセンスのお弟子さん、ロンドン響2番目の女性木管奏者でもあったイーヴリン・ロスウェル(Evelyn Rothwell)さんのリード指南本です


↑袋

最後に一応触れておくと、英語でオーボエは「オーボゥ(oubou)」と発音します。「オーボエ」はドイツ語なので、スペリングは同じでも微妙に発音が異なるのがミソですね。

以上、ロンドン・イングランドからお送りしました〜!

(今度時間があれば、YAMAHAのロンドン支店にも行ってみようかと思います)

イギリスでは生卵が食べれます(英国留学②)

先日、日本人の友達とLINE電話をしていました。 

 

僕「イギリスまで来たけど、卵かけご飯に納豆付けるのが1番ルーティンになってる‥笑」

日本人友達「海外なのに、生卵食べれるの??」

食べれるんだなぁ〜これが!」

 

自分がイギリスに来ると時を同じくして、卵の生食が全面解禁されました。

 

自分の留学が始まったのが昨年9月中旬で、卵かけご飯を食べたくなった10月中旬に、食品規格機関FSO(Food Standard Organisation)からの声明が紹介されたネットニュースを見つけました。 

 

ガーディアン誌から引用してみました↓

The Food Standards Agency (FSA) said it had revised its advice after a “thorough and robust” review of new scientific evidence found that those vulnerable to infection could now safely eat raw or lightly cooked eggs – provided they were produced under the British Lion code of practice – without risking their health.

 

(日本語意訳)

徹底した頑強な新たな科学的証拠の洗い直しにより、細菌に感染しやすい人(筆注:小さい子ども、妊婦、高齢の方など)であっても現在では安全に生卵や半熟の卵を食べることができるということが分かり、イギリスの食品規格機関(FSA)はその食品指導を変更した。ブリティッシュ・ライオン・コード(The British Lion code)の管轄下で生産された卵であれば、健康リスクが無くなる。

Gardian誌「Egg safety – we've cracked it, food watchdog tells Britons」
https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2017/oct/11/egg-safety-weve-cracked-it-britons-told-by-food-watchdog?

ライブドア・ニュース「イギリスで生卵が全面解禁に 生産方法や衛生状態が改善」(記事詳細は消去されてしまいました‥)
http://news.livedoor.com/article/detail/13737345/

 Onlineジャーニー「英国のたまご、30年ぶりに安全宣言!たまごかけご飯で祝杯!?」
https://www.japanjournals.com/uk-today/10438-171020-1.html

 

 

これで1人暮らしを営む日本人留学生の食生活が栄養面・充実度共に改善されますね笑

 

一般的に多くの国では、卵を生で食べる食習慣は存在しないということもあってか、サルモネラ菌感染のきっかけとなる生卵の実食は避けられています。とくに卵の殻の外側に菌が付着しやすいようです。

 

他ならぬイギリスでも1980年台後半にサルモネラ菌の危険性が訴えられて(the UK salmonella crisis)、以来生食が避けられてきました。

 

同世代のイギリス人の友達と食について話していて、「日本人、生卵食べるよ」って言ったら、「え〜(日本の食文化)キモいよね〜」って言われました笑

ただ、先ほどのガーディアンの記事に、「自家製ムースやマヨネーズが作れるようになる」とか「介護施設で伝統的な卵料理をメニューに戻せる」とか書いてあったので、昔は半熟や生に近い卵を食べる習慣がイギリスにもあったようです。

 

 

手軽に栄養豊富な卵を摂取できるし、調理にあまり時間をかけたくない1人暮らしの学生や朝忙しい社会人の皆さんにぴったりだと思うんですが、どうでしょうかね。少なくとも、日本人に生卵なしのすき焼きは無理ですよね。

 

兄が卵アレルギーのため、実家ではあまり卵かけご飯を推奨されずに育ったのですが、1人暮らし始めた途端に食べまくってます(ごめんよ!兄!)。

 

日本では卵かけご飯専用の醤油のようなものも見かけますが、イギリスではキッコーマン醤油で我慢しましょう笑

キッコーマンの醤油が買えるだけ感謝です笑

 

‥というわけで、最後にクックパッドの「卵かけご飯on納豆」のレシピをどうぞ。「納豆と卵を混ぜるんじゃなく、ご飯に卵を混ぜてから納豆を乗せるんや!」だそうです。

 

クックパッド「簡単朝食♪卵かけご飯on納豆☆」

https://cookpad.com/recipe/2112898

 

(ただ「卵白に含まれる成分が腸内・納豆の成分を吸収しにくくしてしまう」、という問題もあるようです。へぇ〜。この記事で解説していますが、「気にしたら負け」って言ってます笑!

https://www.famiyu-kouhaku.jp/2016/01/30/納豆に生卵の食べ合わせはよくないって本当/ )

 

日本に「ニンビー(NIMBY)」という言葉を広めたい

西洋発の概念「NIMBY

 

日本発で世界で知られている言葉、概念って、結構あります。

有名なのだと、アニメ、マンガ、ツナミ、カロウシ、ゲイシャ、ニンジャ…

ちなみに「ガラパコス現象」という言葉も、海外産に見えて、実は主に日本でしか使われない言葉です。

あまりイメージの良い言葉ではないものもありますが、日本発の文化や概念が世界に広まるのは、嬉しいことですね。

 

 

もちろん、反対に海外から輸入されて日本で使われるようになった外来語も山ほどあります。

「実は外来語だった!」みたいな特集はよくネット、TV、本、話のネタとして出てきますよね。

たとえば、背広、かっぱ、ズボン、瓦、襦袢、いくら…、切りがないぐらいいっぱいありますね!

参考)TABIPPO.NET「実は日本語だった外来語29選」実は外来語だった日本語20選 | TABIPPO.NET [タビッポ] 最終閲覧: 2018年1月7日

 

 

 

 

上のように、 言葉を通して、新しい文化や考え方を取り入れることができます。

 

今回は、まだあまり日本のメディアや世間一般に使われていない言葉を紹介したいと思います。

 

僕がこの言葉を初めて知った時には、「あ!テレビや新聞でやってるニュース全部これじゃん!」って思って、頭の中がスッキリした記憶があります。

 

その言葉とは、

NIMBY(ニンビー)」

です。

社会問題とか社会運動などに関わる、わりと社会性ある言葉です。

 

意味は簡単に言えば、「必要性は分かるけど、私の家の近くには迷惑施設を作らないで」と主張する人たちのことです。

 

Googleで検索してみると、学術論文や政策に関する勉強会かなんかは登場するのですが、メディアの記事がちっともヒットしなかったので、ここで紹介しようと思いました。あまり一般に普及していないということでしょうね。

といっても、Wikipedia日本語版ページはありました(NIMBY - Wikipedia)

 

 

NIMBY」が生まれた経緯

 

元々、この言葉は1980年代のアメリカで生み出されました。

 

「Not in my backyard」という言葉の頭文字を組み合わせて生まれた言葉(acronym)になります。

 

ジーニアス英和大辞典(大修館)には、

「自分の居住地域にごみ処理施設・原子力発電所などが建設されることに反対する人」

と解説されています。

 

1980年代のアメリカといえば、スリーマイル島原子力発電所事故が問題になった頃ですので、このような言葉が生み出されたというのも納得できます。

スリーマイル島原子力発電所事故が発生したのは、1979年3月28日のことです。

 

 

 

 

考えてみれば「その字の通り」の意味でしょう。

「Not in my backyard」というのは、直訳して「私の裏庭はやめて」という意味です。

つまり、「自分の家の近く、自分の利害に及ぶような場所(裏庭)に、『迷惑施設』を建設しないでほしい」、ということを表現しています。

そりゃ、自分の家の隣にいきなり「ゴミの埋め立て地作ります」って言われて、喜ぶ人はあまりいないはずです。これは極端な例ですが。

 

 

 

空間的な「NIMBY」を非空間的なものに応用する

 

以上のように、言葉の起源としては「ニンビー(NIMBY)」が、建物や施設など空間に関する概念だということが分かっていただけると思います。「私の裏庭はやめて」ですから。

 

そこで、少し論を展開してみます。

 

これは非空間的な社会問題にも拡大して適用できるのではないでしょうか。

簡単にご想像いただけると思います。

 

例えば、すでにコンセンサスが多く得られている例として、「人種差別に関する問題」。

自分の仲の良い友達のなかに、周りから差別されている人種の人がいたら、その人のことを周りと一緒になって差別するでしょうか?むしろ、その特定の人種が差別されている話を聞いて、不快感や嫌悪感を感じませんか?

もちろん、そうであっても歴史的に人種差別が行われていた時代もあったわけですが、これは随分と解消されてきました。

 

黒人に対する差別であれば反対運動、ユダヤ人に対する差別であれば第2次世界大戦、といった痛みを伴った出来事こそが、差別撤廃に向けて一石を投じたことは事実です。

しかし、差別する側の人たちの中に、差別される側の人たちの意見に耳を傾ける、「より彼らに近い人たち」すなわち「ニンビーの人たち」が増えていたことも差別緩和につながっていたはずです。つまり、ニンビーの文脈でいえば、「自分と仲良い人たちを差別するのはやめて」という意識が彼らに芽生えたはずです。「自分の裏庭で差別をしないで」というわけです。

シンドラーのリスト然り、杉原千畝然り

 

もとのNIMBYの使用方法としては、NIMBYの人は「話が通じない」厄介な人というニュアンスで使われてきましたが、このように負の側面だけでなく正の側面もあると言えますね。

 

 

 

この言葉を知っていれば、

 

ニュースキャスター「原子力発電所再稼働に反対する市民団体が…」

あなた「あ!NIMBYの話ね!

 

ニュースキャスター「沖縄の米軍基地の近くで、基地移転反対デモが…」

あなた「あ!NIMBYの話ね!

 

ニュースキャスター「長崎でダム建設に反対する地権者が…」

あなた「あ!NIMBYの話ね!

 

ニュースキャスター「憲法9条を守る会が国会前でデモを…」

あなた「あ!NIMBYの話ね!

 

と、一気に問題関心を向けることができるようになります。「とりあえず関心を向けて、次の議論のステップへ!」というわけです。

(もちろん、概念に抽象化することによって、問題を切り捨ててしまっては意味がないのですが…)

 

 

 

 

NIMBY」概念を知っていれば、他者を配慮できるようになる……はず……

 

この言葉の良いところは、当事者である人々、つまり「ニンビーの人たち」の存在を無視せずに、認めてあげるということにあります。「ニンビー」という言葉を発した時点で、彼らの存在をあなたは認めたことになります。

自分とは直接関係の無い社会問題に対して挑む人々たちの存在を認め、議論をするという行為は、彼らの活動の認知につながります。

 

また、決して彼らの意見の擁護に導くわけでは無いのが、この「ニンビー」という言葉の良いところです。「自分とは無関係の社会問題に見えても、当事者=『ニンビーの人たち』にとっては大きな問題なんだ」と関心を向ける態度が養われます。

そうすれば、賛成反対両者の意見を踏まえた、客観的で深い議論をおこなえます。片方の立場を完全に無視した、無理解・感情的な批判を避けることができます。

 

参考までに、自治体国際化協会のHPには次のように書かれていました。

NIMBYという言葉には非難の意が込められており、施設立地の社会的必要性は認めるとしても自分の近隣には来てほしくないという住民エゴの噴出した状態を指すものであるが、迷惑施設の立地に直面した地域住民グループが示す地域擁護の姿勢や、迷惑施設に反対する運動なども含まれる。

 引用元: 一般社団法人自治体国際化協会「自治体国際化フォーラム 海外事務所特集 特集2:NIMBY ー 米国における公共施設の立地問題」(自治体国際化フォーラム - CLAIR 財団法人自治体国際化協会) 最終閲覧:2018年1月7日

 

利害関係者を整理し、意見の多様性を認めていることが分かりますね。 

 

 

 

 

ぜひ明日から「あ!NIMBYの話ね!」と心でつぶやいて、ニュースの議論を深めていきましょう!

以上、「NIMBY概念の社会学的転換」でした…!なんつって 

 

 

追記(平成30年3月19日)

日経新聞の平成30年3月19日の朝刊1面のコラム「春秋」に、NIMBYの話が出てきてて嬉しくなってしまったのでした。冒頭引用してみます。

 

世の中はNIMBY(ニンビー)だらけである。Not In My Back Yardーー必要性はわかるが、うちの近所には来ないで。そんな矛盾した住民心理をあらわす言葉だ。ごみ処理場や火葬場、福祉施設から原発、基地まで、NIMBYの対象は幅広い。…(以下省略)

 

あ〜めっちゃ説明うまい。さすが新聞記者笑

 

さすが経済新聞なので、保育所・民泊法制の話につなげていっています。なるほどね〜

 

 

 

イギリスの終戦記念日「Remembrance Day」って?(英国留学①)

(English version - tbc)

[字数:約8000字]

 

こんにちは!現在、イギリスはイングランド北部の中核都市、ニューカッスルに交換留学中の大学4年生ひさしです!

これから不定期でイギリス生活で、見聞きしたこと、考えたことをブログにしていこうと思います!

 

今回は、イギリスの戦争記念日である「Remembrance Day」についてご紹介します!

詳細は本文中にありますが、昨年の11月12日に「Remembrance Sunday」を留学先のニューカッスルで体験することができました。

 

イギリスや欧米圏に住んだことがなければ、なじみ薄いはずのこの記念日は、いったいどのようなものなのでしょうか?

 

■目次
1.「Remembrance Day」とは
2.どんなイベントなの?
  例:Newcastleの場合
3.ポピーの花が象徴
4.日本と比較して考えてみる
4-1.イギリスではWWIIだけじゃなくてWWIも大事
4-2.平和を想うのか、原爆を想うのか。そもそも想わないのか。

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1.「Remembrance Day」とは

イギリスに生活していると、毎年11月11日に「Remembrance Day」という日がやってきます。これは第1次世界大戦の戦闘状態が解除されたことを記念する日です。ただしイギリスでは、行事実施の都合上、最も11月11日に近い日曜日を「Remembrance Sunday」と名付け、その日にイギリス全土の町で式典が執りおこなわれます。

さて時を遡り、1918年11月11日の明朝にドイツと協商国側の代表との間に休戦協定が結ばれました。その協定によれば、戦闘状態が当日(11日)の午前11時を持って終了することとなりました。これが由来となって、当時の王様ジョージ5世が、「戦没者のことを忘れないように」と毎年11月11日を「Remembrance Day」としました。

11月11日は、当然イギリスだけなく、第1次世界大戦に参加した多くの国にとって大事な日ですので、同様の行事が世界各国で行われています。他の多くの国では、「休戦の日(Armistice Day)」という言葉を用いることもあるようです。イギリスの元植民地国から成る「イギリス連邦(Commonwealth of Nations)」では、イギリス同様にこの日を「Remembrance Day」としています。(各国の状況についてはWiki英語版「Armistice Day - Wikipedia」が詳しいです!)

 

2.どんなイベントなの?

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↑「Remembrance Sunday 2017 | The Royal British Legion」より

 

一番有名な、女王をはじめとした王室一族も参加する行事は、ロンドン・ウェストミンスターにある「The Cenontaph」というモニュメント前で行われるものです。「Remembrance Day」自体は必ずしも国民の休日ではないため、「Remembrance Sunday」に開催されます。ウエストミンスター寺院と国会議事堂の間の通りを北上し、パーラメント通りに入ってすぐあります。余談ですが、この「The Cenontaph」を過ぎるとWWIの記念碑等、いくつかのモニュメントが同じ通りにあります。

 

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 ↑夕方に行ったので暗い写真で申し訳ないですが「The Cenotaph」
よく見るとポピーのリースがいっぱい

 

式典は、例年、エリザベス女王をはじめとして多くの人が、ポピーの花のシンボルでできたリースを、「The Cenotaph」に手向けます。今年は、女王の高齢を考慮してか、エリザベス女王ではなく、チャールズ皇太子がリースを手向けたことが話題となりました。「Remembrance Sunday」が終わって、2週間後にロンドンに行く機会があったのですが、まだそのときのリースがたくさん残っていました。

 

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 ↑こんなふうに割と道のど真ん中にあります

 

このロンドンにある「The Cenotaph」は、第1次・第2次世界大戦戦没者記念碑に該当します。ただし、「The」がついている通り、一般名詞としての「Cenotaph」はイギリスの全国各地の町に存在します。僕が暮らしているニューカッスルや、隣町のゲーツシェッドにもあるようです。

 

この「Cenotaph」や戦争記念碑を基点に、全国各地で式典やパレードが執り行われる日こそ、イギリス全国の「Remembrance Sunday」となります。ポイントは、ロンドンの一箇所だけでなく、国中で式典が行われることです。

The British Legionの特設ホームページには"Remembrance Sunday services are also held throughout the UK in local communities. Please check with your local authorities for details."と書いてあります。

 

例:Newcastle upon Tyneの場合

 

左上の写真がまさに式典最中の広場の写真です。この写真を撮った直前に黙祷をおこなっていました。とても見えづらいですが、銅像を囲んで軍人のみなさんや退役軍人の方々が取り囲む様子がみえます。ただなんといっても、その周囲を一般の市民が身動きできないほど集まって見物しています。

 

右上の写真は、式典が終わって30分ほどしてから、広場を撮りに行った写真です。 歩いている年配の方の胸にはポピーの花が見られます。写っている若者と少し対照的に映えます。銅像の周囲には年配の方が取り囲んでいます。

 

下の動画は式典が終わり、現役軍人や退役軍人、ボーイスカウトの少年少女が行進しているところを撮りました。軍楽隊付きの本物のパレードは初めてでした。日本の吹奏楽文化に育った身からすると、「本当の行進曲」を見るのは新鮮ですね。これが「正しい形」なのでしょうけど。

この動画には映っていませんが、このあとバグパイプを演奏しながら行進する方も出てきます。友達曰く、バグパイプは出兵のときや誰かを弔う場面で、イギリスで一般的に演奏されるそうです。ただのスコットランドの民族楽器ではないのですね。

 

3.ポピーの花が象徴

 

 ↑こんな感じのポピー風ワッペン

 

 友達のChris君によれば、「フランスの戦地の塹壕戦の跡地に咲くポピーが、戦死者の血の赤色を表している」そうです。「亡くなった兵士たちのことを忘れないように」、「Remembrance Day」ではポピーの形をしたワッペンのようなものを胸に着用します。

 

「Remembrance Sunday」の前日には、道端にときどき若い軍人さんかチャリティーの若者のような方が、そのポピーの花を模したワッペンを販売していて、購入することができました。

 

「The Royal British Legion」(イギリス退役軍人会?)のネットショップでは、ポピーグッズがたくさん売ってますね。割とセンスいい。

 

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(Poppy Shop UK - The Royal British Legion Online Charity Shop and Gift Shopより)

 

ググってみれば、元は第1次世界大戦に従軍したカナダの物理学者、ジョン・マクレー(John McCrae)が書いた詩に、このポピーは由来するようです(3)。詩「フランダースの戦場にて」(”In Flanders Fields”)の最後の1節はこうです。

 

かたきとのいざこざの話だ

あなたに向けて、地に堕ちゆく私たちの手から

松明を投げよう

これを受け取って、高く掲げてくれ

仮に汝が死にゆく我らの誠意を守らぬ、というのなら

我らは安眠できない

フランダースの地にポピーは育てども

[(3)より筆者翻訳。]

 

この詩をアメリカ、ジョージア大学のモイナ・ミッチェル(Moina Michael)教授が読んで、式典の際にポピーをシンボルとして着用することにしたのだとか。この慣習がヨーロッパやイギリス連邦の国々に瞬く間に広がりました。1921年には、初めて「生」のポピーが式典で着用されました。

英語圏の情報拡散力はハンパないですね!

 

4.日本と比較して考えてみる

「Remembrance Day」自体の紹介からは少し脱線しますが、日本の「戦争終結を記念するイベント」と比較して考えてみようと思います。

 

4-1.イギリスではWWIIだけじゃなくてWWIも大事

イギリスで終戦記念日といえば、第1次世界大戦終結を表す「Remembrance Day」のことです。対照的に日本では終戦記念日といえば、間違いなく第2次世界大戦が終結した8月15日のことですよね。ましてや終戦記念日直前の「原爆の日」、広島・長崎に原爆が投下された8月6日・9日が強調されているということもあり、第1次世界大戦よりも第2次世界大戦が強調されるのは当たり前でしょう。実際、日本の戦争での被害はWWIよりもWWIIの方が甚大であったことを考えれば納得で、被害割合が多かったのです。2国の戦争被害を比較してみれば次のようになります。

 

■World War I1

負傷者 兵士死亡者 民間死亡者 死亡者合計 人口対死亡者割合(%)
日本 907 300 - 300 0.1
イギリス 1,675,000 744,000 123,829 867,829 1.91

■World War II(5)

日本 4,000,000 1,300,0002 672,000 1,972,000 2.74
イギリス 277,077 264,443 92,6733 357,000 0.744

1 全てWikipedia英語版「World War I casualties」(https://en.wikipedia.org/wiki/World_War_I_casualties、平成29年12月7日閲覧)を参照。

2 Based on an estimate of 1,600,000 total military deaths on the assumption that about half of those listed as missing in Soviet territory in 1949 were dead. About 300,000 of these probably resulted from causes not related to battle.

3 This figure comprises 60,595 killed in aerial bombardment, 30,248 in the merchant marine service, 624 in women’s auxiliary services, and 1,206 in the Home Guard.

4 当時の人口は、Wikipedia英語版「World War II casualties」(https://en.wikipedia.org/wiki/World_War_II_casualties、平成29年12月7日閲覧)を参考に筆者算出。Wikipediaさん優秀…。

 

第2次世界大戦初期にすぐ交戦状態に入らなかったために、イギリスは大陸での交戦期間もWWIよりWWIIは比較的短く、甚大な被害を被る事態には陥らなかったようです。…と高校の世界史で習った気がします笑

 

イギリスでは第2次世界大戦も大事ですが、いわゆる「終戦記念日」は第1次世界大戦の終結日なんです。

 

4-2.平和を想うのか、原爆を想うのか。そもそも想わないのか。

休戦記念日を国中で祝すイギリスと比較して、日本では「休戦記念日を祝うという行為」が浸透していないように感じます。 というのも、日本では8月15日の終戦記念日よりも、原爆が広島・長崎に投下された8月6日8日の方が、注目されているように僕は感じるからです。

終戦記念日昭和天皇玉音放送をおこなった8月15日にするか、連合国側の降伏文書に日本が調印した9月2日とするか、という議論があったりします。(国際的には9月2日だそう。ナショナルな議論とグローバルな議論では、記念日も異なりうるのですね。)

 

 

 「黙祷」

イギリスのRemembrance Sundayでは、第1次世界大戦の休戦協定が発効した午前11時ちょうどに黙祷を行います。黙祷という行為は、行う人全員に一人孤独に思考をめぐらせることを強います。それゆえ、黙祷の慣習は、平和や戦争に対して思考をめぐらせる経験を生み、後世に対して戦争の記憶を受け継ぐ契機になるのではないか、と考えます。この「黙祷」という慣習から日英の平和記念日を考えてみます。

ちなみに、僕はその瞬間は歩きながら「黙祷」していました。まだRemembrance Dayのことをよく分かっていなかったので笑 

 

ニューカッスルでおこなわれた式典では、イギリス地方の中核都市であっても、大型ショッピングセンターのど真ん中の広場に入りきれないほどの人が集まっていました。日本の地方都市でこれだけ大勢の人が黙祷を捧げているという光景は、日本では考えられないかなと思います。もしあっても、一般的な市街地においては、少し不気味な光景に映ってしまうでしょう。少なくとも僕はこれまで日本に住んでいて、大勢の人が集って、平和への祈りを捧げるという場面に生で遭遇したことがなかったので、最初目にした時にとても驚きました。ましてやイギリスで「これを各地でやっているのか」と思うと、イギリス国内の終戦への祈りの捧げ方は広汎かつ大規模です。 

 

日本では、広島に原爆が投下された8月6日の朝午前8時15分17秒に黙祷を捧げる、というのが1番メジャーな「黙祷」ではないでしょうか。毎年、NHKが「広島平和記念式典」をテレビで中継しているのを見て、一緒に黙祷するという人もいらっしゃると思います。もちろん、原爆投下の悲劇を反省することによって平和を祈るということは、もちろん為すべことですし、「平和への祈りを捧げる」という点では、イギリスのRemembrance Dayの目的と軌を一にしています。けれども、昨年はオバマ大統領の広島訪問のこともあり、8月15日の「終戦の日」よりも、8月6日の「原爆の日」の方が報道の量や世間での取り組みにおいて強調されているような気がします。

 

この日英の「黙祷」の違いから、「8月15日に戦争・平和全体に向けて思いを馳せる」ということをもっと日本人はしても良いのではないかと思います。(僕が例年、「終戦の日」に敬虔に平和を祈ってこなかっただけかもしれませんが…。たとえば、甲子園では毎年、「終戦の日」に黙祷を捧げている。)イギリスでは各地で終戦記念式典が開催されるのに対し、日本では式典開催のみならず報道や意識の面でも散発的に思われます。日本においては、本来「戦争」という非平和的イベントを反省する、タイミングが不足しているのではないでしょうか。 

補足として、たまたま自分が住んでいる日本の地域が単身世帯や核家族の多い地域なので、平和記念式典へ向かう老年の方を見る機会が少なかったのかもしれません。また、日本の「原爆の日」および「終戦記念日」は、8月中であるために、義務教育の間に子どもたちにその意味を伝えようとしても、夏休み中であるために、世代間で意味の共有がなされにくいのではないか、とも思いました。もちろんイギリスでは、公教育機関の学期中に「Remembrance Day」が発生します。

ちなみに小学校学習指導要領を見ると、「第2次世界大戦」や「平和な世界の実現」といった言葉が出てくるので、一応小学校で平和的な考えを学ぶことになっているようです(8)。ただ「これらの記念日について小学生に教えなければならない」という明確な記述はさすがに存在しません。

 

 

「TV放送」

また「TV放送」という面からも日英比較をしてみます。日本では、NHK総合が「原爆の日」の広島・長崎両式典、「終戦の日」の「全国戦没者追悼式」を中継していますが、広島の平和記念式典は38分間、後者については15分間程度(2017年は17分)と、とても短いです。長崎の「平和記念式典」については、NHKによって中継されていなかった頃もあった(1999年まで)と嘆く声もありました(9)

 

BBCはTVの全国放送で、日本では行われない記念式典全体の生中継はおろか、その日の夜には「退役軍人中心のパレード」なるものを永遠に放映していました。ですから「BBCにチャンネルを回せば、嫌が応にも『Remembrance Day』に思いを馳せざるを得ないな笑」と思います。これは日本と同様ですが、たくさんの戦争関連のドキュメンタリー番組が放送されます。「TV放送」という観点では、イギリスのほうが戦争に関してはるかに多くの報道量があると言えるでしょう。

ちゃんとしたメディアの比較はおこなっていません。誰か調べて。「自分でやれよ」ですね、すいません。

この辺のTV、新聞の戦争報道の比較とか、どっかの研究でありそうですね 。

 

靖国神社参拝」とか国のリーダーがいつも問題になりますけど、「無辜な戦没者を弔い、平和を祈る」という意味では、国のリーダーとして当たり前なのかな、と思わなくもなかったり。もちろん「戦犯者」の扱いの問題になってくるので、これは別の問題ですかね。 細かい議論は置いといて、とりあえず「平和への祈りを捧げること」を、日本でももう少し意識しても良いのかなと感じます。日本では、戦争・平和そのものに対して、思索を深める時間が足りていないのではないでしょうか。

 

ご覧いただきありがとうございました。

 

参考URL

(1)Wikipedia 英語版 「Remembrance Day」https://en.m.wikipedia.org/wiki/Remembrance_Day 、平成29年11月21日閲覧。

(2)Wikipedia 英語版 「Armistice Day」https://en.m.wikipedia.org/wiki/Armistice_Day、平成29年11月21日閲覧。

(3)Wikipedia 英語版「John McCrae」https://en.m.wikipedia.org/wiki/John_McCrae、平成29年11月21日閲覧。

(4)Encyclopaedia Britannica「World War I - Killed, wounded and missing」https://www.britannica.com/event/World-War-I/Killed-wounded-and-missing、平成29年12月7日閲覧。

(5)Encyclopaedia Britannica「World War II - Costs of the war」https://www.britannica.com/event/World-War-II/Hiroshima-and-Nagasaki#toc53607、平成29年12月7日閲覧。

(6)Business Insider This Chart Shows「The Astounding Devastation Of World War II」http://www.businessinsider.com/percentage-of-countries-who-died-during-wwii-2014-5?IR=T、平成29年12月7日閲覧。

(7)The National World War II Museum | New Orleans「Research Starters: Worldwide Deaths in World War II」https://www.nationalww2museum.org/students-teachers/student-resources/research-starters/research-starters-worldwide-deaths-world-war、平成29年12月7日閲覧。(*ぜひその他の国のcasualtiesもご覧ください。)

(8)文部科学省「小学校学習指導要領」http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/micro_detail/__icsFiles/afieldfile/2017/05/12/1384661_4_2.pdf、平成29年12月7日閲覧。

(9)Yahooブログ「【閉会中審査】NHKが中継をしないのは納得できない(『行き過ぎ』を警戒か?)」https://blogs.yahoo.co.jp/mochimoma/21703794.html、平成29年11月21日閲覧。